児島徳夫コラム:有機無農薬農法にまつわるアレコレを語る Part2

児島徳夫コラム2

与次右衛門の力

佐瀬与次右衛門の農業指導図(部分) 森俊一氏蔵『会津孝子伝』より

児島 このコラムのパート1でも話しましたけど、わたしは有機農法・自然農法の技術や方法を試しては失敗を繰り返していた時期があります。

 それは「よその土地で誰かがやったらタイヘンうまくいった」というような触れ込みに踊らされていたんですね。会津という風土、さらに、わたし自身の田畑の土壌成分とか日当たり・水ハケ・労働力とかの固有の条件もあります、そういったことを無視して「自然農法教」に帰依して、教祖・経典のいう通り、金科玉条に同じことをしていても、絶対うまく行かないの。

 身をもって失敗から学び、そんななかで小祝先生のBLOF理論と出会って、自分で考え、自分で工夫する、科学に基づいた自然農法に開眼しました。

 それで、ここから本論なんだけど、わたしの個人的な経験と驚くほど重なることが、なんと330年ほど前の江戸時代(1684年)の農業書の中に書かれているんです。佐瀬与次右衛門(させ よじえもん)という当時の会津藩の農民のリーダーが書いた『会津農書』という本なんですが、読んでみると面白いんですねぇ。

 <BLOF理論について>
小祝政明先生の会社ジャパンバイオファームのHPより
http://www.japanbiofarm.com/report/entry-354.html

 <国会図書館 近代デジタルライブラリー『会津農書』>
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1065840

 <農山漁村文化協会 田舎の本屋さん>『会津農書・会津農書附録』
http://shop.ruralnet.or.jp/b_no=01_4540820265/
日本農書全集19・農文協刊・現代語訳や詳しい解題も掲載

 <福島県立博物館「会津孝子伝」>
http://www.general-museum.fks.ed.jp/01_exhibit/point/
2010/110113_aizukousiden/110113_aizukousiden.html

 <福島県HP『ふくしま歴史探訪』より>佐瀬与次右衛門が伝えた農業の原点
http://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/45576.pdf

 冒頭の序文のところで、こんなことが書いてあります。ちょっと引用すると、

「・・・ひそかにあちらこちらの村里の暮らしぶりをみると、農村に生まれて農業にたずさわりながら、農事にうとい者が多い。種まき、植えつけ、耕し、草取りの時期や手順をわきまえていない。ただ、他人のすることをまねるだけで、自分で考え工夫して耕作しないから、実を結ぶべきときが来ても何も収穫できないのである。経験と努力の積み重ねなしに、どうして収穫の方法を会得することができようか。
(中略)農作業というものは、その国の気候によって、作業適期に早晩があり、地味のよしあし、土質の相違、田畑の地形によって、作物の品種もさまざまであるので、他国にこのまま当てはめることはできない。ゆえに、これを『会津農書』と名付ける。」(庄司吉之助・現代語訳)

 まるでわたしのセリフみたいでしょう(笑)。でも、わたしは別にこの本の口真似してるわけではないんです。この本には、会津という土地の風土に適した農法を、いろいろ実験をして確かめていく、そういう実証的・具体的な知識やアドバイスがたくさん載っています。

 たとえば、会津盆地を流れる4つの川の水の重さを量って比較しているんです。そうすると、川によって重さに違いがあり、重い水ほど農業に良い水だと与次右衛門は書いている。

 これを現代科学の知見で解釈すると、こうなります。水の重さが異なるのは、そこに含まれるミネラル量の違いが原因と考えられる。ミネラルが豊富にあると、田のなかの微生物が活性化して土壌が豊かになる。だから、栄養豊富な農作物が安定して収穫できるようになる。

「無」の会の堆肥センター 米糠(こめぬか)の投入準備

 もう1つ例をあげましょう。会津は当時から酒造りの盛んなところで、その副産物というか廃棄物というか、焼酎粕や酒粕が大量に出るんです。与次右衛門は、庭の土を掘って、そこに焼酎粕と水をいれ、十分に発酵させてから田畑に施し、土壌を豊かにするべきだと言っています。これは、地域の産業に根ざした循環型農業のすすめですね。「無」の会の堆肥センターでやってることと同じ考え方なんです。

 <関連リンク>堆肥をつかう (児島コラムPart1より)
http://soramai.jp/column/column_02.html

 つまり、今わたしがやっていることは、実は会津の伝統的な農業、そして、会津という地域に根ざした『会津農書』の精神を知らず知らずに引き継いだものじゃないか、そう気づいたわけです。これをわたしは『与次右衛門の力』と名付けました(笑)。
 「無」の会の農業は、この与次右衛門の力、つまり与次右衛門の「フォース」に基づいていたわけです(笑)。


児島メモ(与次右衛門の力:概念図) 画像クリックすると拡大して見られます.