児島徳夫コラム:有機無農薬農法にまつわるアレコレを語る

児島徳夫コラム6

岡本君


岡本照正さん(1991年生まれ 茨城県つくば市出身)と児島徳夫

岡本:ぼくは小学校2年生くらいから花粉症がひどかったんですね。でも、まさか花粉症が受験に影響するなんて思ってもいませんでした。中学時代は茨城県立の土浦一高という進学高を目指して、受験勉強に打ち込みました。ゆくゆくは京大のような自由な大学で学んでいければと夢をもっていました。自由っていうのは、ぼくにとって大事なテーマなんです。

 ところが、2005年3月(中1の終わり頃ですが)過去最大量の花粉が飛んで目が真っ赤に腫れ上がり、一気に症状が悪化してしまいました。結局そのまま2年後の高校受験に失敗。滑り止めの高校に進学することになったんです。それ以来、いくら勉強したってまた花粉症で大学受験も失敗するんじゃないかと思うと、気力がなくなってしまいました。もともと人付き合いが苦手なこともあったんですが、高3の夏にその高校をやめて、通信制の高校を卒業しました。

 もうその頃には受験勉強は放棄してしまって、大学受験も失敗。親の勧めで予備校に行ったりもしたんですが、結局ネットカフェとかで遊びまくる毎日で…。なんとか受かって通い始めたのが会津大学で、そこではコンピュータの勉強をしました。ぼくはもともと数学が好きで成績もよかったのですが、やっぱり志と違うっていうか、友達もできず、親許を離れて一人暮らしをはじめたのをきっかけに、毎晩ウィスキーや純米酒をあおってネット三昧の日々に溺れていくようになりました。

 そんな中で、ぼくの一番の関心は花粉症を治したいということで、ネットでいろいろ調べていくうちに、あるサイトで根本原因は除草剤とか殺虫剤とかの農薬にあるという説にたどり着きまして、そっから無農薬の米や野菜に関心もつようになったんです。


 ぼくが食べていた有機栽培のお米は2種類あったんですが、そのうちの1つがたまたま児島さんのもので、しかも、児島さんの商品には、生産者自身の住所と電話番号が貼ってあったんですね (笑)。それで電話をしてみたというのが、そもそもの始まりだったんです。

 気分的にもどうしたら花粉症がなおるのか、気分的にももう前に進まないというか、そういう思いをとにかく聞いてもらいたくなって、今年(2014年)の1月13日に電話しました。大学3年になって中退したいなんて、いまさら親に言えなくて、そういうことも含めて児島さんにぶつけてみたんです。児島さんの答えはシンプルでした。

 — しばらくパソコンは忘れて自然に触れてみろ。ここで土に触れてみて、生き方をどうするか学び直す、いまがその絶好のチャンスだよ。その気があるなら、親を連れて来なさいと。


岡本君の作業日誌より 《その1》 草取り・スズメ・肥料・ネギの収穫

岡本君の作業日誌より 《その2》 ソバの種まき・草取り・イネの花粉・トラクター練習


 2月下旬だったと思います、親に話そうと決めたのは。児島さんからの条件が1つだけありまして、ここに来るなら車の免許をとってから来いと。それには30万ほどかかるんですが、将来自分で稼げるようになったらお返しするということで親にお金をだしてもらって。

 そういう決断ができたのは、そのとき、ぼくが完全に目標を失って、からっぽの状態だったからできたんだと思いますし、誰の勧めでもなく自分一人で動いてたどり着いた結論だったからだと思います。父はやりたいようにやってみなさいとすぐに認めてくれました。母は大学中退には大反対で、幸いというか、8年生まで留年できる大学だったんで、休学という形をとって、しばらく経験してみるということで了承してもらいました。


岡本君とご母堂 9月中旬児島家にて. 食卓には穫れたての無農薬の作物

 4月からここで働きはじめましたが、ぼくの関心は農業そのものというよりは、健康ということだったんです。健康の役に立つ農業以外は興味ないです。まだ数ヶ月しかたっていませんが、児島さんと話してみれば分かると思うんですが、ここでやってること、話題になってることって、単なる農業の範囲ではないというか、将来のことも含めて、いろいろ考えたり、見聞きしたりできるというのは大学ではなかったことなんです。

 最初の仕事は、野菜を洗うことでした。ただ洗っていても面白くないので、どうやったら早くきれいに洗えるか工夫してみたり、児島さんは何を考えてぼくにこういう指示をだしているんだろうと、言外の意図というか、そういうことを考えて仕事するようにしてると、単純作業でも面白くできるのに気づきました。

 そういう自分で考えるっていうことが、「無」の会のポリシーだってことも分かってきました。ぼくの考えたことが見当外れだったりすることの方がまだ多いんですが、そういうときは手厳しく叱られます。それに反発することもあるんですが、ロボットみたいに言われたままに動くんでなく、児島さんの言うことを批判的に一度自分の頭で考え直してぶつけていく、そういうのがここで学んでいくコツなんだなって、だんだん分かってきたところです。→ <コラム④>「無」の会 —会津に新しい血を集めたい


岡本君の作業日誌より 《その3》 薪割り・引越し手伝・草取り・刃

岡本君の作業日誌より 《その4》 休養・草かり・あっという間の5ヶ月・児島さん以外の人のやり方


 いまは大学に戻るという前提なんで、そうすると猶予はあと2,3年です。その間にどこまで学べるのか勝負だなって思っています。仕事はきついですが、体力には自信があるんで苦にはなりません。

 最初は会津大学近くのアパートから自転車と電車で片道1時間かけて通勤するっていう毎日でした。5月に免許がとれてからは電車でなく車で通勤するようになり、7月からここに住むようになって(児島家の近所の民家)、それでやっとこれならつづけられるなって実感しました。

 ※2016年3月、岡本君は大学を正式に退学し、4月から「無」の会の正社員としてたくましく働き始めています。

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