児島徳夫コラム:有機無農薬農法にまつわるアレコレを語る

児島徳夫コラム 7 (農業論ノート1)

「無」の会がめざす農業とは?

衰退する地方
 現在、地方は、ますます衰退の一途を辿っています。これは、農業ばかりではなく、商業も工業も同じでした。つい数十年前までは、町の鍛冶屋さん、呉服屋さん、豆腐屋さん、酒屋さん等々、皆が働いてえた富を互いにまわし、地域経済を支えていました。今はどうでしょう。大きな外部資本、ス-パ-のようなものが、やってきて、富を地域の人々に循環させることができなくなったのです。

 この現象は、商業、工業ばかりではありません。農業についても言えるのではないかと思います。以前は、各農家には、牛や馬がいて、その糞尿と藁や落ち葉を発酵させ、肥料として使っていました。農薬もありませんから、作物を育てるには、大変な農業技術と思いがなければ、できなかったのです。それ故に、各地域には、篤農家が生まれ、周りの農家を指導していたのです。

荒廃する農業
 今は、どうでしょう。肥料や農薬メイカ-も農家を指導し、営農指導さえしております。農家は、自立できず、極端に言えば、彼らに支配されているといっても過言ではありません。そこに追い打ちかけているのが、米の値段の暴落です。農協価格で60kg1万円以下の地域もあります。「百姓滅びて、業者あり」です。

 さらに問題なのが、品質の低下です。化学肥料や農薬がまだ普及していない時代、農作物は、ビタミンや糖類などの栄養素が多量に含まれていました。現在のものを分析すればするほど、現状は惨憺たるものです。農家ばかりか、消費者の方も、その影響を受けていると言わざるをえません。

便利さ・安さの追求の果てに
 なぜ、ここまで荒廃したのでしょう。私たちは、単に便利さ、安さのみを求め、そして科学がすべてを解決できると錯覚しました。言うならば、「科学」ではなく、「科学教」に取りつかれたのです。一般の農家は、落ち葉、野菜クズ、家畜の糞業、木クズ、モミガラ等々すべて捨てております。土に戻しておりません。農薬や化学肥料がなければ、作物は育たないと盲信しているからなのです。

 先ほど申し上げましたように、昔の人は、排泄物、わら、落ち葉などを発酵させ、土に戻しておりました。その中には、多量の炭素、ミネラルが含まれ、それらが土の中の多種多様な有効な微生物群を育て、本当の土を育ておりました。そこから、生まれた農作物は、虫や病気に強く、栄養豊富なものとなっておりました。それ故に、粗食にも、日本人は耐えられたのです。

科学に裏付けられた「循環型農業」への回帰
 もう、私たちは、偽りの世界から、抜け出し、本当のものを求めていかなければなりません。消費者もさることながら、農家も、厳しい状況に立たされているとは言え、本当のものを育ててこそ、生きる道が開かれると確信しております。昔の農業に学ばなければなりません。人工的に造った化学物質を入れるのではなく、自然のものを土に戻し、そして、それが作物になっていく —— 古来から日本人がやってきた循環型農業にこそ、真の未来が隠されているのではないか思います。

 しかしながら、「動物性のものはだめだ」「チッソはわるい」「何もいれず、自然につくるのがいい」などと言って、それに固執するのは、自然農法ではなく、「自然農法教」です。

 現在、限界があるにせよ、人類が営々と築いてきた叡智の結晶・科学を誰でも簡単に手に入れることができる時代です。私たち農家もそれを最大限に利用しなければなりません。ただ、それに溺れてはいけません。それを駆使し、古来の日本人の農法を見つめ直し、新たな農業を創造していくことが、この荒廃した農業を救うことになると確信します。